3.THE SEISYUN
翌日、寮近くのバス停からコンスタンツ大学へ移動する。
8時10分か8時30分の発のバスに乗れば授業に間に合う。
最初は8時10分のバスだったが、2.3日もしたら8時30分のバス一択となっていた。
教室に入ると、先生が机に腰掛け、ガムを噛んでいる。めっちゃ海外だ!!
ここで同じクラスになったトルコ人、アメリカ人、カナダ人、イスラエル人のクラスメイトとは今もSNSで繋がっているし、生まれて初めての外国人の友達だ。
特にトルコ人のエフェ、イスラエル人のラミとは気が合った。
2人とも真面目に授業を受けることなく、
「今日終わったらどこ遊びに行く?」
なんてことばかり話していた。サマースクールはこいつらとの集合場所にすぎなかった。
そして、僕が自国の文化について初めて外国人と話したのがラミだ。
授業中にラミが話しかけてくる。
「日本はどんな国なんだ?人口は何人だ?飯はうまいのか?日本語でラミってどう書くんだ?ワンピースは日本だとどこまで進んでるんだ?」
「どんな国…いい国なんじゃない?人口は1億2000万人くらい?たしか?飯はうまいと思うよ、寿司とか、ラーメンとか。ワンピースはわからん。俺全然漫画見ないんだよね」
など、日本という国や文化にとても興味を持っていた。
日本の文化なんて、受験勉強で日本史の中に出てくる苦痛でしかない暗記項目に過ぎなかった僕にとっては、なんでこんな色々聞いてくるんだろう?と思ったが、当時の僕は深く考えることもなく、異文化の非日常の日々を楽しんでいた。
サマースクールの1ヶ月、最も楽しく各国の友人と仲を深めることができたのは、アフタースクールだ。毎日のように学生寮の前の芝生の公園でみんなで集まり、飲んでいた。
ヨーロッパの夏の夜は長く、日が暮れるのがだいたい22時くらい。
日が暮れる頃にはみんな酔っ払っていて、暗くなると芝生に寝転んで星を見たり、金曜日にはみんなでクラブへと出かけた。
休日にはライン川で泳いだり、橋の上から飛び込み!
まさに青春。理想通りの夏休みだ!
そんな毎日はあっという間に過ぎていき、留学のメインステージであるスイス、ザンクト・ガレンへ向かう時が来た。
このザンクト・ガレンでの生活が、今後の自分の人生を大きく変えることになるとはこの時は考えもしなかった。
続く…